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可能性



“どんな食材にでも【可能性】はある”


もう一度・・・


“どんな食材にでも【可能性】はある”


繰り返してもまだ、ピンと来ないなら、

もう可能性はない・・・。




・・・


どんな食材にでも可能性はあるのに、

料理人は、素材を選び過ぎだ・・・




俺は、こんな食材は使わない。

あるいは、使えない・・とか。




ただし、前提として

下記のようなものは例外だ。




状態が悪い。

腐敗している。

著しく基準から外れている。




もし、そういうモノであれば、

この話自体前に進まない。







私が言っているのは、

本来持つべき、その食材固有の個性を持った状態においてだ。




どんな食材にも、絶対に【資質】はある。


そう、つまりどんな食材にも未知の可能性はあるのだ。


その可能性を見つけられるのは、

扱う人・・

料理人次第だ。




可能性というものを探る能力は、

インスピレーションではない。

最も重要なのは、

【理解】である。




つまり“知る”ということ。





果たして、

その食材について、何を知っているのだろうか??

もう一度、立ち止まってよく考えてみる・・・




例えばキューリ。

例えば人参。


まぁ、なんでもいい・・・


それらの食材について、

どれだけの知識と理解があるか?


あるゆる可能性を探ったことがあるか?


様々な条件下での調理を試みたことがあるか?


様々な食材、調味料との組み合わせを試みたことがあるか?




いや・・

殆どの人が、YESとは言えないはずだ。


つまり、盲目のうちに、

その食材の価値を一方的に決めつけているということ。





誰もが知る、

何処にでもある、

安価な食材は、

可能性の宝庫だ。




・・・


逆に・・・

高価で且つ、それだけで素晴らしく美味しい食材はどうか?

松茸でも和牛でもなんでもいいが、

人を感動させることは、容易だ・・・


その価値も誰もが知っているし、

そのポテンシャルも非常に高い。

ある程度のテクニックがあれば、

ちゃんと素晴らしい美味しさを発揮してくれる。


そんな優秀な食材には、

あまり余計な手を施す必要が無い。

むしろ、そっとしておいてあげたほうがよい・・・







しかしながら、

1本のキューリで、

人を感動されることは、

非常に難しい・・・


特に高価な単価で提供するとなると、

そこに対価以上の価値を相手側に感じさせないといけない。


そこには、料理人としての【価値】が存在しないといけない。


それが、存在価値。




・・・




と・・・


ここまでが前フリ。


上記の文書の【食材】を【人】に置き換えてみる。




すると、

そっくりそのまま置き換えても、

違和感のない、

もうひとつの文書が出来る。








世の中全体にも言えるが、


料理人は、スタッフを選び過ぎだ。




人を知り、理解する前に

その人の価値を決めすぎる傾向にある。




そう、だからこそ、

人の可能性を見い出せないのだ。





未知の可能性


という言葉があるが、


一方では、

【無知の可能性】も存在する。




他人に対して、

無知であるから、可能性を見過ごしているということだ。




どんな人にも可能性がある。




そう、どんな食材にでも可能性があるように


【どんな人にも可能性がある】





それは、理解だ。





理解する前に

決めつける。


それは、相互的なものであるが、

相互的に考える前に、

一方的な思考が必要だ。


キューリが私に話しかけることが出来ないのと同じこと。


聞き取る力は、自分から心を開かねばならないからだ。


社会において、

上下関係の中で、

下から上に対して、

強いアピールが出来る人は少ない。


だから、相互の前にまず自分から理解すべき。


どんな人にも可能性があることに気づく第一歩だ。


それが出来ない人間は、

結果、キューリで人を感動させることもできない。





しかし、


腐った食材には、

もはや何の可能性も価値もない。




腐っているものは、

無である。




分解され、水と空気に変換され、

生命の循環の中に消えていく・・・




まぁ、そう考えると

【無】ではないが・・・。




話を戻すと、

腐ったモノには、もはや可能性はない。


その個体が有している

本来の特性を発揮すべき機会(チャンス)を

完全に逃した状態にある。







人間も同じだ。


腐ったヤツには、もはや可能性はない・・・




しかし、そうではないはずだ。

腐った原因を追究すべきだ。




そう、本来チャンスは、

何処にでも、

また、

誰にでもある。







腐敗する前に


気づくべきだ。





そして、腐敗する前に、

出会うべき人に出会うべきである・・・





出会っていて尚、気づかない人は、


腐りかけている・・・








自分の場合、


腐りかけの状態にあるものを

救うべく機会を与える立場でもあり、

また、

もしかしたら、自分自身が、

腐りかけている状態にあるかもしれない。





自分が今ある状態を

冷静に見極めること。




毎日の中で、

こんなことを考える。







何事も、

まず、自分の状態を知ることが、

何より大切なことだ・・・


 
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