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ノコギリソウ






Achilee

セイヨウノコギリソウ





学名 Achillea millefolium

フランス語でAchilee

和名 セイヨウノコギリソウ

多年草のキク科です。


あまり馴染のない人でも、

ヤロウという名称は、ハーブティーなどで聞いたことがあるかもしれません。


このヤロウには、様々な力が秘められている。

この小さな葉は、リヤカーいっぱいの堆肥原料の分解を促進するだけの力があり、

根は、近くに植えられた植物の病気に対する抵抗力を活性化させる分泌物を発生する。


この植物は、とても優れた治癒力を持つことで有名で、

学名アキレーAchilleaは、ヤロウの止血効果を知っていた英雄アキレスが、ギリシャ、トロイの

戦いにおいて、傷ついた多くの兵士を救ったことに由来している。




古くから、聖なる力が宿る植物として扱われてきたノコギリソウ。


今日は、その神秘的なハーブについて少し話をしてみたい・・・


・・・


自分の知識の中でいうと、

日本では、ブラスが来るまでは、

あまり知られてなかった野草だと思う。


ハーブ園などでも育てているところがあまりないので、

市場にも流通していない。


そう言う意味でも、近年のガストロノミー系のレストランで、

この野草は、貴重な植物かのように扱われている。


オキサリス(Oxalis)和名カタバミ、

ムロンデゾワゾー(Mouron des oiseaux )和名ハコベ

も同様に、今までのレストランではあまり見かけなかった野草だが、

ここ10年で専門誌などでも、

海外で修行したシェフなどの影響もあり、

よく見かけるようになった。




本当に【意味】を感じて使っているシェフもいるだろうし、

流行のつもりで添えている人もいるだろう・・・


誰が始めに注目したのか?


それは、始めに言ったようにブラスだと思う。


間違えなく、そこには、【明確な意味】があって、

その植物の生態、香り、味、など固有の特性を理解して

始めて皿の上に乗せたはず。




ブラスにしてみると、これらの植物は、

とりわけ飾り立てて説明するようなものではなく、

周りにあったものであり、

その生命を生かすべく、料理のアクセントとして、

その個性を発揮できるポイントに添えていたものだ。


語るほどではないが、

無意味にやってるわけではない。

ひとつひとつの構成、工程には、明確な意図がある。


そんな具合だろう・・・


・・


自分も10年前は、これらの野生植物はあまり認識していなかった。


しかし、よく周りを見渡すと、


実によく、その辺に自生していることに気づく。


貴重でも、幻でも、なんでもない、

もはや雑草のごとく、そこらじゅうに生えている・・・




それは、ノコギリソウに限ったことではない、


オキサリス、ムロンデゾワゾー、プルピエ、プティ・オゼイユ、三つ葉、シブレット、ミント・・・

これらは、少なくとも、何処にでもある。

少し広めの公園や空き地には必ずといっていいほどある。


この辺では、レモン・バームやタイムなんかも雑草に紛れて自生してることが多い。


知れば知るほどに、こうしたハーブや野草は、

何処にでもある。


今挙げたものは、ほんの一部で、

ごくごくアリフレタ自然の中にそれらは存在している。




ただ言えることは、

それは、田舎のレストランの話。


流石に大都会のビルの裏には、

ノコギリソウは自生してないだろうし、

ビオラも咲いてないだろう・・・


・・・


何が“自然”であり、

何が“不自然”なのか?




その辺りは、重要なことに思えるし、

提供する場所によって、

真逆にも成り得る。


何が逆なのか?というと、


都会でわざわざ購入した【雑草】を有りがたがって、

皿に乗せるのは、“不自然”だけど、

実は、都会だからこそ、“自然”を感じたいし、感じさせたいのかもしれない。


そういうニーズが存在する以上、

購入した【雑草】の価値がある。


逆に、

田舎のレストランに

田舎の客が来る場合、


【雑草】を珍しそうに添えても、

「この葉っぱ・・家の裏に生えてるね」で終わる・・。




とても“自然”な行為だけれど、

自然だからといって、価値があるわけじゃない。


・・・


たった一枚の尊い【雑草】は、

田舎では、価値がないが、

都会では、珍しい【ハーブ】として珍重される。




そうした現象は、ある意味【ガストロノミー】の面白さと滑稽さだと思う。




そう考えると、

近年、都会におけるガストロノミーの使命は、

【真実】を表現することではなく、

真実に近い【幻想】を創造し、ファンタジーの世界を提供する【箱】のようなものだ・・・


まるで、その箱は、

何処でもドアのように、

瞬間移動が可能な生き物だ。


都会にあるはずの箱なのに、

皿が運ばれるごとに、

川の音が聞こえ、

森の香りが漂い、

海からの潮風を感じ、

時に、宇宙空間にさえ心を浮遊させてくれる。


ただ、テーブルに身を委ねるだけで、

あらゆる感性を刺激し、

旅へといざなう・・・




そういう視点でみると、

ガストロノミーの存在とは、

「人類の英知」とさえ言えるかもしれない。





・・・




では、田舎に箱を構える自分が、

ファンタジーを創造すべきか?


そう考えた時、

はやり、担う役割が異なるように思う。


我々が、提供すべきは、

もっとシンプルで素朴なものでいい。


そこに大自然があるのだから、

その恩恵を十分に活用すべきである。


ファンダジーを創造するよりも、

真実を掘り下げていくほうがいい。


真実とは何か?




真実というよりも、

最終的には、田舎におけるレストランの【幸福】とは何か?

を考えるべきだ。


何においても、

人は、幸福というキーワードで

人生が彩られているのだから・・・


では、幸福とは何処にあるのか?




このノコギリソウのように、

自分たちが気づかなかっただけで、

実は、足元に存在しているように思う。


そう、そこらじゅうに雑草のように

存在しているもの。




人生の殆どは、

灯台下暗し・・・なのだから。







青い鳥のように、

自分の周りをよく見ずに、

幸せを求めて、遠く旅に出る。


しかし、本当の【幸福】は、

【探す】のもじゃない。

【気づく】ものである。




・・


或る、晴れた休日の昼、

子供と手を繋ぎ、

近くを散歩していると、

公園の脇に、

ノコギリソウを見つけた・・・




幸福とは、そんなアリフレタ景色なのかもしれない。
 
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