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根拠









何事にも根拠がある。


そして、表現にも根拠が必要だ。


根拠が存在しない・・というのは、

大抵は、コピーが多いんじゃないかな・・と思う。




そして、その場合、


他人は、騙せても


自分は、騙せない。





きっと、自分には嘘をつきたくない・・と言う人は、

独自性を貫けるだろうし、

逆に、そういう人しかオリジナリティーを見つけることができない。




。。




何故、この組み合わせにしたのか?


何故、このデザインにしたのか?


これらには、全て根拠がある。


根拠がないなら、

間違えなく、誰かの作品を見て、

単純に【真似したい衝動】を抑えられなかったに違いない。


・・・


真似したい衝動・・は、実は誰にでもある。

勿論、自分にも沢山ある。


コピーにも品と愛情があればカバーになるし、

品が悪ければ、ただのコピーになる・・


要するに、真似をするにも【品格】が必要だ。





コレは、ある意味冗談みたいな話だけど、

【品】を【敬意】に置き換えてもいい。


相手に対する【敬意】があれば、

それは、カバーという言い方や

モチーフにしました・・なんて言い方もある。


真似を上手にしたい人は、

是非、参考に。




・・







何を表現しようか?


何を伝えようか?


どんなデザインがいいか?


テーマをどうしようか?


面白い食材、感動的な食材、

何があるだろうか?




などと色々考えるが、

自分の場合、あえて個人的なことに特化する。


テーマは、いつも個人的なことだ。


多分、そこが自分らしい表現の仕方なんだと思う。




表現には、色々なジャンルがあって、

絵画や音楽・・挙げればキリがない・・・




個人的な失恋を歌にしたり、


家族の死を画にしたり・・




画家や音楽家は、

そうした、とても個人的な経験を

そのまま出力する。


ある意味、それは自己満足の世界とも言える。


しかし、受け止める側は、


そこに自分のこころを結び付け、

共感し、感動したりもする。


勿論、そうじゃない場合もある。


それが芸術だし、表現というものだと思う。


要するに、選択の自由である。




自分にとっての料理とは、表現のツールであるという認識があるので、

自己満足であって構わない。


雇われていて、

あるミッションを成功させることで、

報酬を得ているのなら話は別だ。


そこには、責任と義務があるので・・




しかし、今の自分のステージで、

自己表現に対して、

誰も見向きもしないなら、

自分には、価値がないと判断し、

自分が破たんして終焉を迎えるだけのことだ。


・・


そんな側面がありつつ、

やはり、料理には食べ手への愛情があり、

家族やスタッフを養っていく責任も同時に考えると、

自己満足一辺倒な訳にもいかないのが現実だ。




実際には、表現の根拠などは、

自らは語らない。


それは、自分の胸の内にしまっておけばいいことだ。


料理はあくまで料理です・・

そんなスタンスを見せる。


食べる人に喜んで欲しい。

美味しいと感じて欲しい。

幸せな気持ちを届けたい。


自己満足の側面の裏には、

ごく普通にそうした想いがある。


実際は、裏ではなく、

その想いを表側として【見せる】


それが、料理人としての責任と使命だと自分は思っている。




・・


そんなことも、

根拠なく、ものを作っている人には、

存在しないことだろう。


根無し草のような、作品には、

根が無いだけあり、

何も【通って】いない。







根拠と結果は、いつもイコールである。


 
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