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フォンとジュ





ここ数年、フォンやジュは、自分の料理にあまり重要じゃないので、

オーソドックスなものを用意はしていたが、

それほど独創的な作り方はしていなかった。


あまり重要じゃない・・といっても、

料理に乗るもので、重要じゃないパーツなどひとつもない。


あくまで、担う役割として主な食材と比べると、

重要じゃない・・という意味。


クラシックなフォンやジュは、

現代の料理にどうしても必要なものじゃないが、

その作り方の背景にあるものは、

非常に重要だ。


素材の選別、それぞれの量、野菜を切る大きさ、

筋やガラ、ミルポワの焼き具合、

ムイエするタイミングや何をどれぐらい入れるか。

それぞれの工程で発生した“香り”をどう液体に閉じ込めるか。

どの程度まで煮出し、どのタイミングでパッセし、

どこまで煮詰めていくのか。

ひとつのフォンやジュをとるだけで、料理人として様々なの感性が問われる。


私がイメージするソレは、

水という無味無臭の液体に、

それぞれの要素を移しこむ作業と捉えている。


これは、非常にデリケートな作業だ。


・・


毎朝スタッフが僕の立つまな板の前に水を用意してくれる。


サラダに使うハーブが何かの拍子で、コップの水に中に入った。


試しに5分ほどそのまま放置して

その後、飲んでみた。


すると、水に微かなハーブの香りが付く・・


たった一枚のセルフイユの葉っぱだけでも、

その水の味は変化する・・・


水という液体は、それだけデリケートな物質だ。


その水に焼いたガラや野菜、ハーブ、スパイスなどを入れて、

数時間も加熱するのだから、その影響はすざましい・・と思う。


ほんの少し焼きすぎた骨や野菜が入るだけで、

雑味や苦みが液体に移る。


・・


料理に対する意識が高ければ高いほど、

こうした基礎は厳格に行われるものだ。


また、今こうしたものを料理に使わないとしても、

フォンやジュをとる技術の中に、

料理を作る上で大切な要素がギッチリと詰まっている。


・・

ここまでが前置きだが、

フォンやジュの基本的な考えは、

フランスの風土に根付いて考えられたものだ。


要するに、使う野菜も肉も

筋やガラも

全て、フランスの食材であり、

最も重要な【水】も

フランスの硬水を基準に考えられている。


それが、フランス料理のベースとなっている。


そう考えると、日本の風土に合ったフォンやジュの取り方はどうなんだろう?


勿論、今までのやり方でそのまま日本の食材に置き換えて作っても、

きちんと丁寧に作れば、美味しいフォンがとれる。


しかし、それは【ソコソコ】美味しい・・程度だと思う。


何と比べるかが問題だ。


自分には分からないが、長年フランスの厨房で仕事をしてきた料理人が、

日本で同じルセットで作っても“同じ味にならない”と嘆くに違いない。

それは当たり前の話で、素材も水も違うのに同じ味になるはずもない・・。


逆に、昆布出汁をヨーロッパで作っても、

当然、日本と同じものはとれない。


ごくごく当たり前の話だ。


しかし、これだけ当たり前の話であるにも関わらず、

そこを深く掘り下げてフォンやジュを語っている人は少数だ。


僕が今フォンやジュをとるなら、

今までやってきたことは一度全て忘れたい。


我々の世代は、もう次の段階にきている。


ここまで先人が苦労して築き上げてくれた基礎を

より高度に発展させるべきだ。

高度とは、完成度という意味合いと、

それぞれの土壌に根差した新しいゴールを設定すべきという二つの意味でだ。


これらは主役じゃない。

美味し過ぎるフォンやジュが、

その土地の素材に添えてバランスが取れるとは限らないということだ。


例えば、


とても身質の繊細な白身の刺身に、

濃いダマリ醤油を付けるヤツはバカだ・・

これは、極端な話だが、

そもそも最終的にどんな料理として出したいか?

どんな美味しさを表現したいか?

もし、素材のシンプルな味わいを表現したいなら、

ソースなんて必要ないし、

その土地の特産物をメインにして考えるなら、

その素材の味わいを邪魔しないような素朴なジュを考えればいい。

少しの旨みをプラスしたいなら、そのようなジュを作り添えればいい。

この一皿に水分が欲しい・・潤滑油として考えるなら、サラサラのものを添えればいいし、

濃いエッセンスをほんの少し添えたいなら、

しっかり凝縮させたものを添えればいい。

最終的に何がしたいのかで、

作り方は変わるし、準備の段階から変わってくる。


さっきの醤油の話は、濃いものを繊細な味のものに添えても意味がないという話だったが、

別に濃さだけのことを言っているワケじゃなく、美味し過ぎるものを

質素なしみじみとした味わいの素材にぶつけることが意味がない・・ということも言っている。


フランスから伝わったクラシックな方法で

今の料理人が必ずしもとる意味がないということだ。

覚えるべき基礎は、基礎として理解し、

自分の中に叩き込む必要があるが、

そこで終わってしまうのではなく、

自分の中に落とし込み、自分の持つアイテムとして、

より高度に進化させることが現代の料理人の使命だ。




また、別の話にもなるが、

必要だから作る・・・という理由とは別に、

素材を無駄にしてはいけない・・という背景も同時も持っているのが、

フォンやジュだ。


どうしてもソースが必要であるから作るのとは違う意味合いだ。


素材の持つ要素を余すところなく使い切り、

一皿に乗せ、全てを頂くことが素材に対する感謝と愛情だという教えだ。




我々は限りのある資源の中でそうして生きてきた。


それは日本もヨーロッパもアフリカも北米も南米も・・・世界中同じだ。

そこに区別はない。


限りのある資源を大切に無駄にしないように生きてきた人間の営みであり、

それが食文化というものだ。


・・・




現代の料理にフォンやジュは必要がない。

そんな旨みの強い、重たい味のエッセンスはもはや時代遅れだ。

素材そのものの味をもっとクリアにフォーカスした料理こそが

現代のテイストだ。

そんなことに時間や手間をかけるぐらいなら、

もっと別のことに時間を使うべきだ。

【美味しさ】を追求するのなら、素材の不要な要素は、ごみ箱行になっても仕方ない。

際立って上質で洗練された美味しさだけを追求すべきだ。




例えば、こんな事を言う人がいるとして、

それはそれで正しい。

それは、その人の生き方であり、料理観だ。




ただ、そこだけではない意味合いも同時に発信する必要があるし、

特に若い子には、そこまでを伝えて尚且つ、今はウチの店では必要としないアイテムである・・と

教えてあげる必要もある。




フォンやジュの持つ意味合いは、

料理を構成する味だけではないということを・・・。
 
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