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神は細部に宿る
この言葉の本来の意味は、

あらゆる芸術で優先されるのはいつでも作品【全体】の価値である。

しかし、【細部】の集合体が【全体】を構成しているのだから、

素晴らしい作品というのは、

構成するディテール部分、ひとつひとつが完璧なものでない限り、

全体像としての【作品】が完璧にはなり得ない。




前衛建築家のミース・ファンデルローエ・・

或いは、美術理論家のヴァールブルクが言った言葉とされています。

 

要約すると、

「細かなディテールを疎かにしては全体の美しさは得られない」

「細かくこだわった細部こそが作品の本質を決める」




そんなところでしょうか・・。




自分的には、もう少し先の解釈がある。


それは、自分の感覚的なものであるし、

自分がモノ作りをして、リアルに感じる言葉だ。




神は細部に宿る・・・その細部は、

実は、目には見えない。




別に、具体的な細かい仕事ではない。


勿論、もの作りをする上で、

誰も気にしないような実に細かい部分まで、

徹底した作品というのは、

絵画やデザイン、映画、音楽・・なんでもあらゆる表現物において、

【神が細部に宿ったな・・・】と実感するし、

それゆえ、素晴らしい出来栄えとなるのだが、

そうした具体的なこだわり部分を

構成しているのは、

テクニックや手先の器用さが創りだしているものではなく、

深い精神性から細部に【繋がり】を与えているように思える。




精神性の矛先が、たまたま細部に宿るだけであって、

細かい部分の細工が素晴らしいこととは違う。


誰も気にしないような部分に、何故そこまで執念を燃やせるのか?


まさに、そこの理由の中にこそ、精神が宿るわけであって、

精神が宿ることを神が宿ると言い換えているにすぎない。


だから、見た目が同じように完璧であったとしても、

張りぼてと本物は、何か違う?と感じるのは、

そこに精神があるかマネごとなのかの違いだ。


だから、実に細かい細部にまで作業が施されているからといって、

神が宿っているわけではない。


ココロという目に見えない物質は、

ある種のエネルギーを持っていて、

不思議なパワーをものに宿す。


生命力を感じる表現というのは、

そういうものであって、

言葉では説明がつかないオーラを放っている。


それを感じた時に、言葉で説明がつかないからこそ、

【神が宿っている】という言葉を用いる・・・




僕は、そう思っている。

 
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