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タッチ
つい最近、鮮明に感じたことがある。

それは、料理における“タッチ”である。


よく筆のタッチがどうの・・という言葉を使うが、

料理にもタッチがある。

ソースやピュレなんかを置く動作である。


この動作は、味云々ではなく、

所謂、感覚的なセンスであり、

その時代性を強く反映する要素だ。


一昔前の料理をみると、

やはりタッチが古臭い。

古臭い・・ならまだしも、

目を塞ぎたくなるようなダサ過ぎるタッチが多い。


カッコイイと思ってやっているのが

ミエミエのタッチほど、ダサさが際立つ。


・・

この数年、人工的なタッチがなんだか気になっていた。

もうこういうのは、表情がモダンなだけで、

古臭いかな?と・・・


そして、あまりに多くの人がやり過ぎてしまってて、

最近では、飽き飽きしている感じがある。

・・

タッチだけでいうと、

最近、1500×750という大きなガラスの皿に

様々なピュレを使って、即興で描いてみたが、

時間に耐えうる表現をしようと思うと、

従来の皿に行うようなタッチでは、如何せん通用しないというか、

とても違和感を感じてしまった。


もっと大胆に、

もっと自然に、

動作のスピード感がマチエールにまで伝わるような・・

そういう表情を画面に作っていかないと

作品として成り立たない感じがした。


そう、それこそが出力する意味だ。


こういう感性は、

一度、外に出してみないと

大きな気づきに繋がらない。




タッチの表情に関しては、

ここ数年、自分のパターンにも飽き飽きしてて、

もっと先に進みたいけど、

なかなか見い出せずにいた・・・。




15年ほど前に、油彩用のパレットナイフで

野菜のピュレを伸ばすタッチをその時初めてやって、

暫く続けていたが、その時は“これはいいな・・”という手ごたえがあった。


当時、誰もやってなかったし、きっと誰も着目してなかった。

また、新しいという感覚的なことだけじゃなく、

古びない普遍的なタッチだとも感じた。


写真はないか?と探したが・・あった。




うん・・やっぱりダサいな・・(笑




全体的に料理として、アウトだが、

当時を考えると、2000年そこそこなので、許してあげよう・・・。




でも、これは自分にとって、

記録であり、当時を切りとったスナップなので、

とても重要な記録だ。


イメージにあったものを出力したことで、

次の表現に繋がったのは確かなのだから・・・。





最近、別のことを集中して考えていると、

こういうビジュアル的なことに無頓着にもなる。


別と言うのは、勿論・・味のことでもあるし、

もっと外側の表現だったり・・・




ピンポイントでタッチのことだけを集中して考えることが最近なかったが、

今回のマチエールを生かす料理に取り組んだことで、

もっと違うタッチがあるように思えた。


15年前の当時は、料理に油彩用のパレットを使うこと自体が斬新だったが、

今は、特に斬新でもない・・・


筆や刷毛を使うもの・・・まぁ普通かな?




何かが飛び散ったようなのも、全然ふつう・・・

とっくの昔にやったことだ。


そこだけフォーカスすること自体がナンセンスだが、

それはそれとして、

自分なりのオリジナルで、

次の新しい表情を画面に創りたい。


そこで、根本的なことからもう一度考える・・


野菜やフルーツのピュレを皿に盛るタイプの料理は、

まだまだ続くと思う。

それは、意味のあることだからだ・・・

だとすると、この先も多くのシェフが

ピュレを皿に置く作業を繰り返す。

その都度、何万人というシェフが、

もっと新しい置き方はないか?

新しいタッチはないだろうか?

と考えているはずだ。




現場では、どの店も基本的に

ピュレを何かしらの容器に入れて、

キュイエールを差し込む。


キュイエールでピュレを掬って、

皿の上でどうにかする・・


ここまでは、一緒だ。


変な道具があるにせよ、

色々やっているうちに、

やはり、スプーンに落ち着く。


スプーン以外の道具で、

長く使っても飽きない道具があれば、

料理業界全体に

新しいタッチが生まれるとは思うが、

そうそう無いから、

ワンパターンなのだろう・・・




ピュレ以外に、ソース的なものを流す上でも、

スプーンが常備されているのが利便性から言っても通常なので、

なかなかどうして代わりがない。


じゃー・・30年前の料理は??


やっぱり、今とは随分違うじゃないか。


同じスプーンを使っても、

皿に対する構図、配置、動作、量・・

全てが違う。




ということは、

30年後の未来でも違うはずだ。


そう考えると、

私は、今・・30年後のスタイルを見つけたいと思ってしまう。




そうだなー・・・

まず、量が問題だ。


最近思うのは、量が多いかもしれない。

ソースは不要なので、いらないとして、

ピュレ系なんかも、今の1/5ぐらいが主流かもしれない。


昔は、こんなにベターっとピュレを皿に置いてたんだねー・・ダサーい。

みたいな感じかもしれない。


耳かきスプーンぐらいな量が妥当かもしれない。


そう考えると、耳かきぐらいのスプーンが厨房のビーカーに

沢山、常備されている感じかな?




きっと、そうなるだろう未来を感じて、

3年ほど前から耳かきスプーンは買ってある。




未来の料理は、よりピュアなエッセンスだけを抽出したような、

香と風味だけが生き生きとしたものが主流になるはずだ。


犒擇″という定義は、

時代と共に、変化し続けるものである。










 
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