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余白を埋める
モノ作りの楽しさは、余白を埋めることにある。
余白とは、自分がまだ知らぬ未知の部分であって、

その余白が埋まっていくにつれ、作品の完成度は高まっていく。
ここまでやってみて、もうこれ以上上手には作れないだろう・・と、

技術の完成にたどり着いて尚、いや待て・・まだ、ここの部分を改善すれば、

もう一つ上のレベルで作れるんじゃないか?

そんな感じで、どこまでやっても、余白に気づけるか?がその人の伸びしろだったりする。

初めて取り組む仕事は、余白だらけでとても難しくもそれ以上に楽しい。

この年になっても、初めてやる仕事はワクワクする。

初めは必ず失敗する。手ごたえを見る作業なので、失敗しないと意味もない。

そんな浅い完成は、はじめから望んでいないので、それでいいのだが、

最初の失敗からどれだけ多くの余白に気づけるか?がポイントになる。

おそらく、能力の差は、そういう部分に顕著に出るのじゃないだろうか。

一連の作業工程の中で、コツのいる部分は何処なのか?

逆に、さほど気にしなくてもいい部分は何処か?

自分の中で、修正すべきポイントは何処か?

自分の中で、理解しきれていない箇所は、どの部分か?
そんな感じで、ひとつの技術を習得するプロセスが必ずあって、

そのプロセスさえ自分の中で、整理されていれば、

どんな新しい仕事も、ある程度の段階までは数回で習得できる。
習得した技術を更に上の段階まで磨こうとするには、

先に言ったように、ひとつの技術を自分のものにしても尚、完璧じゃないことに気づく、

つまり・・余白がまだあることに気づけるかどうか?

そこしかない。

・・・

思えば、自分の料理人人生は、余白だらけだった。

事前に情報を与えられたり、完成形を見せてもらったり、

作業工程をお手本として見せてもらうような環境はなかった。

お陰で、どんな作業でもゼロの状態からそこそこの段階まで、

技術向上させるプロセスを身に着けることができた。

これは、自分にとっては幸運だったのかもしれない。

タイプにもよるだろうけど、

自分の場合、答えが出ているものを

決まった通りの工程を踏んで、完成させるような仕事は不向きだ・・・

非常につまらない。

せっかくの【余白】をはじめから埋められているようなもので、

自分の中にある想像力を遮断されているような気がする。

料理の楽しさや醍醐味というのは、

体を駆使し、手を動かし、色合いや香りといった、

刻々と変化する状態を見極め、イメージされた状態に近づける・・

その工程全てが楽しいわけであって、上手くいかないこともまた楽しさの一部だ。

一度、距離を置いて頭の中で工程を整理し、

イメージを膨らます。

あの作業の時に、もう少し長く間を置けば、ここがこうならなくて済んだのかな?

いや、それ以前に、あの分量を少し減らして、あの材料の比率をあげよう・・とか、

そういう【想像】の中での作業を、また改めて次の機会でチャレンジする。

“やっぱり! 自分の思った通りだった。”

そんな風に、もの作りとは、完成に至る過程、プロセス自体が楽しいのであるが、

中には、そのプロセスを楽しめない人もいる・・・

・・・

モノ作りの楽しさは、余白の中にあるというのに、

余白を楽しめない人は、

喜びもなく、成長もない。

僕は、それが残念でならない・・・
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