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根源にあるもの
思えば、子供のころ、料理人を目指したことはなかった・・・

かと言って別の職業に就きたいと思ったこともなければ、

夢を持ったり、何かに憧れたりも無かったように思う。

でも今思えば、僕は料理の道に進んで良かったんだな・・と

最近になってようやく思うことが出来た。

前にも書いたことがあるような気もするが、

料理みたいに感覚を頼りにする世界というのは、

一般的な仕事と違って、残念ながら一定の訓練を受ければ

誰でも成果が上がるものではない。

当然、やる気と努力でカバーできる部分もあるが、

そこそこにしかならない。

何が違うのか?

それは、絵心、歌心と同じで、

ピカソや美空ひばりのように、

何も訓練を受けていない子供の時点で、

パッと完成されたパフォーマンスを披露できる人がいる。

そういう人は、その世界が必要とする

【感覚】を初めから持ち合わせていて、

それぞれの世界には、そういう人が必ずいる。

そして、生まれつきのセンスがある人が、

更に人より努力もする。

そういうプロの世界において、

普通の感覚の人が、やる気と努力でカバーできても、

そこそこにしかならない。

・・・
感覚を頼りにするプロの世界というのは、

そういう厳しい現実が在るということを僕は、この仕事を始めた時から

気づいていた・・・

だから“僕は、この世界でやっていけるのだろうか?”という想いを

ずっと持ち続けていたのかもしれない。

今もその想いは、あって時々、とても不安になる。

自分が今している事、自分が作る料理、自分の存在意義・・・

代わりがいくらでもいるし、果たして意味のあることをしているのだろうか?

そんな想いがいつも頭をよぎる。

でも、それは努力が足りない自分の中に生まれる【隙】であることも自覚しているし、

どの世界に入ったとしても、生まれる感情であることも知っている。

結局は、やるしかないし、続けるしかない・・・

その循環の中にいつもいるように思う。

・・・

最近、ふと子供の頃を思い出した。

初めて作った料理のことを・・

あれは、きっと8歳か9歳ぐらいだったと思う。

普段両親は、共働きで土曜日に学校から帰ると、

いつもテーブルに500円が2枚おいてあった。

当時は、500円札かな?

で・・2歳年上の兄は、コンビニで適当なものを買って、

パッと食べて、すぐに遊びに出かけるタイプ。

僕は、最初は兄と同じようにしていたが、

そのうち、“この500円で何か、もっと美味しい食事ができないだろうか?”と

考えるようになった。

そこで、近くのスーパー・・というか、市場みたいなお店があるので、

そこで肉を買うことにした。

ここには、よく母親に連れられて来てて、毎回僕は肉屋の前で、

ショーケース越しに肉屋のおっさんの様子を眺めるのが好きだった。

うちは、貧乏だったので、夕飯に牛肉が出たことは一度もなかった。

常に豚。

母親に“牛肉が食べたい!”というと、必ず“牛肉ねぇ〜・・美味しくないよっ・・”と言う。

はじめは母の言う言葉を信じていたが、

そのうち“これは嘘だな・・”と思うようになった。

明らかに値段も高いし、旨そうじゃないか!

僕は、そんな想いがあったので、

その時、その500円を握りしめて、肉屋に行くことにした。

あまり詳しくは覚えていないが、

きっと、そこの大将かおばさんは、子供がおつかいに来たとでも

思ったんだろう・・

“何が欲しいの?”と聞かれ、

僕は、その500円を差し出し、

“これで買うことの出来る牛肉が欲しい”と言った・・と思う。

どういうやり取りがあったかもウル覚えだが、

僕は、そこそこ厚い牛肉をゲットしたことに間違いない。

きっと、サーヴィスしてくれたのだろうか??

・・

僕は早速、その肉を焼く。

背が小さいので、台所に台を置いて、フライパンを温める。

牛脂が添えてあるので、それを溶かし、

イッキに焼き色を付ける。

うん!なんとも香ばしい旨そうな香りが・・

両面を焼いて、皿に乗せる。

フライパンを洗おうとしたが、

底を見ると、これまた旨そうな肉汁がこびりついている。

これをソースにしよう!

なんとなく、その辺にあった固形のマギーブイヨンを入れる。

水分がないと溶けないので、

やかんの水を注ぎ、再度フライパンを火にかける。

今思えば、コレが初めてのデグラッセ・・(笑

そこで、更に醤油やら、ケチャップやらを適当にいれる。

全くでグラッセの意味がなくなってしまうほど、

濃い味に凌駕させてしまっているが・・

子供の僕には、その作業が楽しい。

そして、その煮詰まった変な味のソースを肉にかけて終了。

ソース作りに時間がかかるので、肉に予熱が入り、

きっちりミディアムに仕上がったではないか!・・(マグレ)

まぁ・・そんな感じで、毎週土曜はステーキの日となった。

そんな思い出を回想して、今思うことは、

随分と迷い、悩みもしたけど、

この仕事は、自分に向いていたのかもしれない・・と感じる。

最終的に【自分の中に在るものしか表現できない】と気づいた時に、

自分の根源に、ちゃんと【料理】というものがあった。

才能は別として、本能的に料理を捉えているのなら、

それは、僕の人生にとってのギフトだ。

天に授かったもの。

この年でようやく、それに気づいたことで、

僕は、これからの人生の中で、

今までとは違う向かい方ができるような気がしている。

2,3年で自分に向いているとか、向いてない・・とか言って、

仕事をコロコロと変えてしまう人には、

きっと、その景色は見えてこないだろうと思う。

いち凡人として、僕が思うことは、

やはり継続の中でしか、見えてこない景色があるということ。

それを伝えたいと思う。
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