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愚行録

ここ最近、楽茶碗に嵌っている。

色々な茶碗があるが、今の自分の好みとして、

楽茶碗が持つ、独自の世界にどうにも惹かれる。

詰まる所、利休であり、長次郎なのだと思うが、

当代、樂吉左衛門さんの作品は、凄い・・・

これもまた、まだ陶芸を始めて2年の今の自分が‥と前置きが必要だが、

今の自分が思うに、楽家450年の歴史を見ても、

当代の作品は、楽茶碗の枠をギリギリ保ちつつも、

そこを踏み越えている・・ような禁断の領域に迫る緊張感がある。

職人としての域を超えた芸術家としての性分がそうさせたような・・

自分では制御できない熱量を感じずにいられない。

そして、氏の作品をずっと眺めていると、

その意識は、光悦の作品に重なってくる。

僕は、素人で、何も知らない状態なので、そう感じるだけかと思い、

ネットで繋がりを調べてみた。

【15代 樂 吉左衛門 本阿弥光悦】で検索・・

すると、出たばかりの【光悦考】 著 樂吉左衛門 という本があった。

そっか・・・この世界の人にとって、

この二人の意識が繋がっていることは、承知のことで、

誰もが知っていることだったんだな・・と。

・・

樂歴代の茶碗を初代長次郎から現在に至る15代まで、ずっと眺めていると、

間違えなく、光悦のところで目線が止まる。

本阿弥光悦は、楽家の中にはおらず、2代目と3代目が存命中に

楽家とごく親しい関係で、出入りしていた、当時の総合芸術家だ。

光悦の作品は、とにかく自由に満ちており、

その淀みない表現力は、無垢で可憐で美しい・・・

造形を創り上げる感性は、

内に籠るようなエネルギーから来るものではなく、

外に向かって解き放たれるような精神から

生まれたものに思える。

まさに【天賦の才】

その言葉に尽きる・・・

・・

ここまで書いて、

どうにも、この生意気な自分の文書表現に嫌気が刺しつつ・・

愚行と知りながらも、言葉を続けさせてもらうが、

かくにも、この本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)という人物は、

当時のあらゆる芸術において、全て超一流であったのだから、

その才能たるや同時期にイタリア・ルネサンスで活躍した

レオナルド・ダ・ビンチに重ねてしまう人も多いだろう。

さて、そんな光悦の話を【光悦考】という1冊の本に吉左衛門さんが纏めるにあたって、

度々、文書の中で登場する人物が【林屋晴三】という方だ。

日本陶芸界の重鎮にして、その名は知らない人がいない・・という大先生らしい。

僕ごときが、どれだけの経歴で、どれだけ凄い人なのかを解説するのは、

あまりに恥ずかしいので、端折るが、

この本の中で、吉左衛門さんが、この林屋先生への敬意と愛情がたっぷりと描かれている。

師弟愛、親子愛にも似た・・また、それとも異なる、

なんとも言い難い関係だったと想像するが、

随所に様々な言葉で氏との関わり合いが綴られており、

この【光悦考】という本自体が、林屋先生に贈る最後の言葉だったのかな・・とも想像してしまった。

そして、本来は、光悦研究の第一人者でもある氏が、

【光悦論】を、人生の最後に自身の集大成として世に送り出すべきと考えていたのだろう。

無念にも、林屋先生は、昨年2017年の4月に他界されたらしい・・・

??

待てよ・・・

もしかして・・・

そう言えば、2016年の夏に、日本陶芸界の重鎮の先生がうちの店に来ると、

連絡があったじゃないか。

ミュゼのオープン以来、ショープレートを飾ってくださっている、

陶芸家 中村裕先生が食事に連れて来られた方じゃないのか?・・・

そう思い、当時のメールを見ると、【林屋晴三先生と行きます】と書いてあった。

まことに・・・

当時は、全くといっていいほど、その世界のことが分かっておらず、

90歳近いご高齢の先生・・が来たな・・ぐらいにしか、認識していなかった自分。

なんとも、愚かしいではないかっ・・。

そして、ミュゼに来ていただいた、その1年後に亡くなっている。

たったの2年前の話であることが、余計に愚かしいとも思ってしまう。

もし、あの頃の自分がたとえ今レベルの知識であったとしても、

その【縁】は【縁】として、

自分の人生の中に確かな【縁】として残ったのだはないだろうか?

・・・

しかし、不思議な縁として、

2年経った今、こうして【光悦】を知ることで、

改めて【林屋先生】の存在を認識することが出来た。
もし、今お会いすることが出来たなら、

無理やりにでも時間を作り、

どうにかして、少しでも有難いお話を覗うことができたのになぁ・・と

後悔の念は拭えない。

この自分の文書自体が、愚行そのものでもあるが、

これら含め【愚行録】をここに記す。
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