]]>
2005年のオープンから5年後の2010年に、
それまでのスタイルをやめ、
新しい店作りをイメージするようになった。
2011年に、30坪だった店舗を100坪のレストランにし、
リニューアルオープンした。
当時、37歳。
とても大きな借金を抱えてしまったのですが、
それでも、当時は何処か浮ついた気持ちもあり、
どうにかなるように思っていました。
そのリニューアルオープンの際に、
僕の恩師である陶芸家、
そして今は、北海道陶芸会の会長でもある
中村裕さんから
お祝いのお手紙を頂きました。
・・・
【 “心に描けない事は、形になりませんが、
心に描いた事は、いつか形になる。”
可能性があります。
その可能性を実現出来る“器”は、
一体なんでしょう? 】
他でも何度かこの手紙の話をしたこともあり、
この手紙は、生涯手元に置いておく大切なものです。
文字の美しさ。
内容の深さ。
流れるような簡潔な文書。
全てにおいて、僕は心に沁みたのですが、
何より、先生の心の温かさとその深さだと思うのです。
実は、僕がこの手紙を大切にしている理由が別にもあり、
当時の僕は、この手紙に勇気づけられたというよりは、
【見透かされている・・】
と感じてしまったのです。
先生は、僕に対して苦言を呈して、
この手紙を書いた・・ということではなく、
純粋な想いであったことは明らかなのですが、
僕自身が、ふわふわと浮ついていたのですね。
今までを一新して、新たなことに挑戦したい!という
思いもあれば、心の何処かで根拠なく、上手くいくだろう・・
そういう傲りにも似た邪念があったように思うのです。
蓋を開けてみれば、御覧の通り。
それからというもの、上手くいかないことばかり。
ただでさえ膨大に膨らんだ借金も、
返せないので、更に借金を借金して返す・・という
自転車操業。
新しいプロジェクトにも手を出すが、
これもまた上手くいかない。
社内でも問題が絶えない・・
いつしか、色々なことが嫌になり、
2016年にリセット。
もう一度、ひとりで始めよう。
そう、思ったのでした。
その時、思い出したかのように、
この手紙を読み返しました。
【その可能性を実現出来る“器”は、一体なんでしょう?】
心にイメージを描き、それを作るところまでは、出来たが、
それはただの空っぽの“器”だった。
そして、その“器”の本当の意味は、当然、自分自身を指す。
僕自身が大きな器として成長しない限り、
張りぼての大きな建物は、意味のない“器”に過ぎない。
僕は、初めてこの手紙を読んだとき、
直観的にそれを感じてて、
そして、時を経て、改めて深くそう感じたのです。
あの頃の自分には、もう後に引けない思いがあり、
突き進む以外の道がないように思い込んでいました。
・・・
長い前置きになったのですが、
そして、また今、僕は新しいことに向かおうとしています。
年齢的に、これが最後の挑戦になるかもしれませんが、
今出来ること。
今したいこと。
そんな“今”を最大限に表現した空間を創りたい。
さて、どんな空間が良いのだろうか?
レストランという枠を壊したい。
もっとエキサイティングな空間が欲しい。
そんなことも考えた時期もあったのですが、
2周回って、
今は、この上なくレストランらしいレストランを作ろう。
そんな気分です。
僕が今感じている“時代性”からくる感覚でいうと、
様々な形式を経て、正統派の洗練された空間がベストな気がしています。
当然、そうじゃないお店も色々とあって面白いので、
全ての人に当てはまる事ではないけど、
僕的には、それがいいように感じています。
形式みたいなものは、マンネリが続けば、
壊したくなるのが世の常。
壊した中に、爆発的に面白い表現も生まれる。
そこに追随する形で、更に大勢がそれを追いかける。
そうなると、でたらめなものも沢山世に出てくる。
まがい物で溢れかえると、収拾がつかなくなる。
今のように超情報化社会になれば、
混沌の一途をたどる。
まさに今、僕が感じている社会やこのレストラン業界は、
そんな時代に来ている。
そうした中において、清く全うで正当な空間というのは、
ある意味、しっくりくる。
熟成と洗練を得て、僕が今イメージしている形とは、
オーセンティックで上質な空間なのです。
豪華さや贅沢感の定義や感覚は、時代の中で、
変わって行きますが、
今の時代と呼吸しながら、
普遍的な美を追求した空間を描きたいと思っています。
・・・
【その可能性を実現出来る“器”は、一体なんでしょう?】
この文のあとには、こう書かれてました。
“自由な心と挑戦する勇気”
自分の足元をしっかりと見つめ、
自由な心で、新しい未来を自分の手で掴みたい。
今、そう思っています。
何も案ずることはない。
自分の知る限り、人生は苦難に満ちていることに変わりない。
だから、何も心配はいらないと思うよ。
心配したところで、
苦難から回避など出来ないのだから・・・
だから、何も案ずることはない。
何も心配はいらない。
そして、上手に人生を生きようとなんて思う必要もない。
むしろ、若いうちは出来るだけ悩んだほうがいい。
今の自分に満足なんて出来ないのだから、
成長しようと思えば、悩むことは必然だ。
もし、そこで何も悩まないようなヤツは、
5年後も10年後もなんの成長も変化もないよ。
ただ、細胞が劣化しただけのことだよ・・
・・
仕事を選ぶ時のポイントは、
金や待遇じゃない。
実は、金と待遇は、自分次第でどうにでもなる。
今の自分への評価が低いのは、当たり前だ。
だってまだ、なんの役にも立ってないし、
なんの結果も出してないのだからね。
でも、明日や1週間後、半年後、1年後の自分は、どうだろう?
もし、自分が成長し、人の役に立つようになり、仕事の中で結果が出れば、
金と待遇は変わる。
そう、自分の問題であって、
変えることの出来ないことじゃないんだよ。
でも、社長の人格や会社の方針は、
自分の努力じゃ、どうにもならない。
だから、仕事を選ぶ時のポイントは、
社長の人柄と会社の理念だ。
将来の自分にとって価値のある時間を過ごせるかどうか?
自分という人間を消耗品ではなく、
一人の人間として、きちんと評価してくれるか?
若い人間の労働力を足元を見て搾取しているだけの人間や会社だって、
この世の中には、沢山存在する。
そういう社会の中の消耗品にはならないでほしい。
だから、その為にも自分の意思を強く持ってほしい。
はじめは、誰しもが自信もないし、能力もなく、なんの役にも立てない。
だけど、それとこれとは話が違うんだよ。
自分の立場はわきまえるべきだけど、
自分の考えは、きちんと伝え、そして、その意思を曲げないように。
それは、責任は取らないけど、自分の主義、主張だけはする人とは違う。
仕事の中で、きちんと責任は果たさないといけない。
その中で、自分として言うべきことは相手に伝えるべきだ。
社会の中では、結果が全てだ。
若く、未熟なうちは、なかなか結果が出ない。
だけど、素直さや謙虚さ、情熱や愛情は、全ての結果に結び付く。
もし、それが備わっているなら、
何も案ずることなどないよ。
それこそ、お金では買うことができない。
だから、才能だとか、自信なんかは、なくていい。
まずは、素直な心。
今と真剣に向き合えるか。
更に、人に対して誠意を持って、きちんと愛情を傾けることができるなら、
それだけで、十分すぎるほどに、十分だ。
この世の中の仕事で、
それを擁しても、結果が出せない仕事は、
特殊能力を必要とするような世界だけであって、
殆どの仕事は、それだけあれば十分。
あとは、明るさと健康。
健全な精神と体さえあれば、何にだって立ち向かえるし、
どんな困難も乗り越えていける。
今からなら、殆どのことに挑戦だってできる。
若さは、刹那であり、純粋で、もろく、
儚いものだけど、
可能性に溢れているじゃないかっ。
それも、またお金では買えない。
どうか、今という時間、
【若さ】という素晴らしいものを大切にしてほしい。
・・
知らない場所で、ひとり、初めて暮らすことは不安だらけだと思う。
当然、最低限度の生活を築く上で、お金は重要だね。
お金は、ある程度の安心を買うこともできるかもしれないし、
自信や豊かさにも繋がる。
貧困は、妬みや卑しさ、時に犯罪を産む温床にもなり得る。
だけど、そこまで極端な生活以外は、
最低限の収入で、どうにか生きていけるものだよ。
その収入に合った暮らしをすればいい。
それは、本当の意味での貧しさとは違う。
自分に対する貯金だと思えばいい。
そうはじめから考えることが出来る人は、
時間に対して、投資が出来る人。
今、自分に蓄えるべきは、貨幣ではなく、
精神であることに気づけるかどうかだよ。
今、手元に貨幣がないだけであって、
未来の自分への貯金をしていると思えばいい。
その変わり、しっかりと意思をもって、
毎日を真剣に、
毎日を大切に生きて欲しい。
・・
人生は、なかなかに難しいものだね・・
なかなか上手くいかない。
思うようにいかない事の連続かもしれない。
そして、誰かが言ったように、
【人生は一度きりの実験のようなものであり、
リハーサルの無い、ドラマのようなものだ】
そう、やり直しはできない。
一度決めた道をタイムスリップして逆走することはできないよね。
だから、迷ったり、
時に臆病にもなったりする。
そして、決めたあとも、
本当にこれで良かったのだろうか?と
思い悩んだり、後悔することだってあるかもしれない。
だけど、それも仕方のないこと。
やらなかったよりは、まだマシだよ。
少しでも前に進めたほうがいい。
自分の意思で決めて、
自分の進もうという気持ちに素直に向かったなら、
もし、よい結果が出なかったとしても、
それでいいじゃないか。
安全な道なんてない。
少なくとも、自分は知らない。
いずれにしても、
安全な道などないなら、
自分の好きな道を歩いたほうが人生は豊かであり、
楽しいものだ。
そう、沢山困難が待っているけど、
時々、本当に素晴らしいと思える時がある。
自分は、その素晴らしいと思える瞬間、
心から幸せだと思える瞬間が、
年齢を重ねるごとに増えてきたよ。
そう、本当に少しずつ少しずつ増えてきた。
ゆっくりと右肩上がりの人生は、
いいものだよ。
だから、何も焦る必要もない。
今の自分が嫌いでもいいし、自信がなくてもいい。
人に誇れるものがなくてもいい。
もし、それが今の自分であるなら、
これから少しずつ補っていけばいいだけのこと。
少しずつ、
前の自分よりも、今の自分のほうが好きになれたら、
それは、幸せなことだと思う。
・・
この先、何か困ったことがあれば、
いつでも、何処にいても
自分は、そこに行く。
全てを投げうってでも、
助けようとするだろう。
それが、普通の親というものだよ。
ただ、困難に立ち向かうことの邪魔はしないようにする。
残念なことに、
それは、手助けができない。
してはいけない。
たった一人で戦うしか方法がない。
きっと、この先にそういうことがある。
誰の人生にも、それが待っている。
勿論、立ち向かわずに、
逃げることだってできる。
時に、それも必要なことかもしれないね。
ただ、逃げてばかりの人生には、
それなりの未来しか待ってないものだよ。
お金だって同じこと。
楽して稼ぐ方法は、探せば沢山あるよね。
でも、それをする人としない人で分かれるでしょ。
しない人は、その先の結果を知っているから手を出さない。
貧乏暮らしがキツくても、
未来に投資する方を選択する。
苦しい事やツライ事というのは、ある意味人生の投資だよ。
もし、それを今自分の中で解決できたなら、
未来の自分には、もうその問題は困難ではないでしょ。
もっと先に進むことができるね。
そうやって、どんどん高いほうに向かって進んでいくものだよ。
選ぶのは自分。
何処で満足するかも自分次第。
自分の選択次第で、未来は常に変化していくものだよ。
・・
若い頃の自分には、自信なんてこれっぽっちも無かった。
自分が何かを成せるなんて、思いもしなかった。
ただ、ひとつだけ人とは違うことがあった。
それは、自分という存在に気づいたこと。
自分と他人は、違うでしょ。
それが、個性。
人と違うのに、
人を妬んだり、羨ましいと感じたりしている自分が、
バカバカしいと思ったよ。
そのうち、そんな事も考えなくなった。
自分にしかないものってなんだろう?
自分に何ができるのだろう?
そう考えてばかりいた。
その答えは、未だに分からない。
19歳で社会に出て、
25年も経つけど、
未だ、考えている最中だよ。
それぐらい、難しいことでもあるし、
きっと、人生が終わる時、
こう思うはず・・・
【長いようで、短い・・色々なことがあった人生だったけど、
結局、自分に何ができるのだろう?と考え続けたまま終わってしまったな・・
その過程自体が人生であって、それでも自分には、自分にしかない人生を送ることができたし、
辛いことがあった以上に、沢山幸せなこともあったな。
まぁ・・自分の人生としては、これで上々だろう。
満足したとは言えないけど、
十分に幸せだったな・・
十分過ぎるほどに、恵まれた幸福な人生だったな・・
感謝の気持ちでいっぱいなまま
この人生に幕を下ろせる。
ありがとう・・・】
まぁ・・そんな風に思って自分の人生の終わりを迎えるのかな?ってね・・・
人それぞれに、
その人なりの人生が待ってる。
それを懸命に生きるしかないよね。
だから、何も案ずることなどないよ。
何も心配なんてしなくていい。
堂々と自分の人生を謳歌してほしい。
寧々の人生をいつも見守っています。
愛する父より。
]]>