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夢・人生観

 

 

 

 

 

 

 

僕は、夢ばかり見てる、夢のない子供だった・・・

 

18歳の時、この先の進路をどうしようか?という時期に、

 

最初はデザイン学校の願書を片っ端から集めていた。

 

何処のデザイン学校にしようかと迷っている頃に、

 

ふと・・“調理師免許をとったほうが現実的じゃないだろうか?”と思った。

 

全く夢のある発想ではなく、どうやって暮らしていくかを考えていた。

 

・・

 

僕は、子供の頃から夢という言葉があまり好きじゃない・・。

 

何か、その背景にある大人たちの思惑が隠されているような気がしていたからだ。

 

だから、若い頃から甘い夢など見たことがない。

 

あるのは、厳しい現実のみだと思っていたし、

 

【今】という瞬間を生きるだけで、

 

精一杯だった・・というのが正直なところだ・・・。

 

・・

 

我々は今の若者たちに何を伝えられるのだろうか?

 

そして、どんな未来を提案すべきなのか?

 

日々、伝えていること。

 

日々、与えていること。

 

それは、それぞれの将来の目標に向けて役立つだろう生きる術だ。

 

では、その目標とは何か?

 

【その目標を達成したとき、君は本当に幸福なのかい?】・・と問いただす。

 

それは、本人にではなく、伝えている自分自身に対してだ。

 

・・

 

人には、一人ひとり異なった目標や夢や幸福感がある。

 

しかし、人によっては、

 

自分にとって本当の幸せとは何か?が分からないまま社会に出る。

 

そして、そこに目を付ける悪い大人たちもいる。

 

それは、昔も今も同じだ。

 

個の人生観が確立する前の若者に対して、

 

夢を煽る・・

 

【若者たちよ夢を持て!】と・・。

 


その大人たちが勝手に描いた夢に乗って、

 

必死で頑張って、その先に手にしたものは、

 

大人たちに貢ぐための金だった・・

 

そして、そんなカラクリにも気づかぬまま、

 

社会に埋もれていく・・。

 

 

よくある話だが、そうはなってほしくないし、

 

自分自身が若い頃、そうはなりたくなかった・・

 

夢を持つな・・とは、言わない。

 

しかし、甘い夢は捨てるべきだ。

 

それが本当に【自分が求める幸福な姿】なのかをよく考えたほうがいい。

 

・・

 

どの職業においても一流と呼ばれる人がいる。

 

そこを目指したり、憧れることは悪いことではないし、

 

自分を高める上でもよいことかもしれない。

 

だけど、【憧れること】と【目標】にするのでは意味が違う。

 

自分の身の丈を遥かに超える【目標】を設定して、

 

挫折してしまう人が殆どである現状を冷静に考えたほうがいい・・

 

 

人には、生まれ持った宿命というか、その人に合った器が用意されているように思う。

 

その器は、大きさも違えば、色、形が全て違う。

 

だから、1000人いれば、1000人の人生があり、人生観があるはず。

 

なのに、大雑把に3択か4択程度のオプションしか与えられなかったとしたら、

 

そこからはみ出してしまった人は、可哀想だ・・。

 

それは、今の教育制度の延長にあるのかもしれない。

 

社会に出てもそれは同じ。

 

そうなってくると、知らぬ間に人の夢に乗っかったり、

 

見てなかったハズの夢を見させられたり、

 

自分という固有の存在が取り残された形で、

 

どんどんと時間だけが過ぎていく。

 

本当にコレでいいのだろうか?

 

薄々そう感じつつも、もう止めることも変える勇気もない。

 

自分の身の丈に合わないものを追いかけて、

 

そして、躓き、這い上がれず、挫折する。

 

それが生存競争に負けたもの・・とみなされ社会は切り捨てる。

 

そもそも、その原因を作ったのは誰か?

 

【夢】を煽った大人たちの罪か?

 

それとも、それに乗った若者たちの未熟さか?

 

それは、両方かもしれない・・・。

 

だから、その罪を誰も見つめようとしない。

 

そして、煽った大人たちは心の中でこう呟く。

 

“才能なく、努力も足りず、夢を追いかけたが故の敗退、それは自己責任”と。

 

自己責任という、とても都合の良い言葉があって、

 

結果がどうあろうと、それはソレを選択した【あなたの責任です】と社会は言う。

 

でも、経験を積んだ大人たちは、若者を見て、

 

ある程度の判断は初期段階で分かっているはず。

 

しかし、そこでもこう言う・・

 

“誰しもに未知の可能性がある!夢を諦めず努力しよう!”と・・・。

 

そんな思ってもないことを口にして

 

若者たちを戦場に駆り出した罪は重い・・。

 

 

・・

 

僕がお勧めしない理由はこの辺にある。

 

高い意識を持ち一流を目指すことと、

 

身の丈を知らずに上昇志向に乗って、

 

勘違いしたままに他人が作り上げた張りぼての夢に向かうこととは、

 

本質的に違う。

 

自分だけが本来持ち合わせた【身の丈】に合った【目標】を設定すべきだと思う。

 

これは、現実を見て小さく纏まれ・・と言っているわけではない。

 

ごく自然体で、自分を見つめ、自分を知り、自分に合った人生のプランニングをするべきだと思う。

 

今の時代は、あまりにも情報が多いし、

 

様々なメディアからの情報も簡単に入る。

 

スマフォひとつで、世界で活躍する人物の姿を目の当たりにすることができ、

 

それはあたかも【隣の友人】のような親近感すら覚え、錯覚する。

 

“自分もこうなりたい!こう成れるんじゃないか?”と・・・。

 

そう思う簡単さとは裏腹に、そうなる為の努力はしない。

 

まさに、ソレが夢のような幻想だ。

 

だけど、僕は今の時代は、情報が多いからこそ、

 

自分で自分に合った人生を自由にプランニングできるように思う。

 

昔は、もっと選択脚が少なかったし、

 

何かに挑戦するにも今の何倍も苦労が必要だった。

 

今の方が遥かに様々な間口は拓かれていることを考えると、

 

これは、昔と比べ有利でもある。

 

そうした、良い部分を活用し、周りに惑わされることなく、

 

情報を選択していければ、自分なりの道が拓かれるように思う。

 

だからこそ、まずは自分自身をよく知ることから始めて欲しい。

 

【そこが全ての出発点であること】を再認識してほしい。

 

それを置き去りにしたら、最終的なゴールはない。

 

・・

 

何を目指すか?という目標設定の前に

 

スタートラインの設定をすることから始めるべきだ。

 

皆、ここが抜けている。

 

スタートラインは、自分を知ること。

 

自分が掲げている目標は、自分にとって幸福であるか?を吟味すること。

 

それを達成し、自らの手に収めた時の自分をリアルに想像すること。

 

そして、スタートから目標達成に至る経緯に無理がないか?

 

それが【自分】にとって可能であるかを検証すべきだ。



・・・

 



【人が夢を見る・・それが【儚さ】である】

 

 

僕が、この言葉を目にしたのが丁度、中学生の時だった。


 

それからも僕は夢を見続けて、追いかけては、



何度も挫折し、


 

そこから這い上がり、やっと夢を捕まえて、



この手の中に収め、


 

見つめてみた・・

 


残念なことに、ソレは手から零れ落ち、


瞬く間に消えた。


【夢ってなんだろう?】


それは、カタチの無い自らが創り出した幻想だった…


だから僕は、また追いかけるのです。